自己紹介

双子妊娠で4児のママ?!平凡ママが月30万を目指すまで

はじめまして。りつです。
ブログを見にきてくださりありがとうございます。

私は夫と4歳息子、1歳娘と暮らす、どこにでもいるような37歳の主婦です。

私の今までの人生を振り返ると

✔️キャリア
✔️仕事のやりがい
✔️収入
✔️子どもとの時間

すべてがパッとしなくって
ずっとモヤモヤを抱えて生きてきた人生

「あれ?こんなハズじゃなかったのに…」なんて思いながら
でも「こんなもんか」なんて諦めて現状を受け入れて
変えようとしなかった。

正直、現状を変えるなんて自分にはできないと思ってました。

そんな私は現在、双子を妊娠して「4児のママ」になろうとしています。

さすがに「今の経済状況のままではマズイ…!」と思い
在宅ワークという手段で、「1年後月収30万円を安定して稼ぐ」ことを目標に
新たな挑戦を始めました。

今回は、この挑戦に至った経緯を綴りましたので
よかったら最後までお付き合いください。

基本情報

名前:りつ
性別:女
年齢:37歳(1987年生まれ)
家族:夫・4歳息子・1歳娘(双子妊娠中)
職業:在宅フリーランス
出身:埼玉県
居住地:兵庫県
趣味:SNS・インテリア

幼少-学生

働く母の姿に憧れる

小学校教員だった母と、高校教員だった父のもとに生まれ
1つ上の兄、父方の祖父母と6人家族。
絵を描くことと、運動が得意な子どもでした。

今考えると、6人家族ってまぁまぁな大所帯。
でも祖父母は家のことを手伝うということはせず、父も帰りが遅い。
ご飯作りや洗濯、家のことは基本的にすべて母一人で行っていました。

祖父は私が物心ついた時からすでにボケ始めていましたが、祖母はものすごく元気。
(当時まだ60代)

それでも祖母は家事は一切しないため、嫁姑の関係は最悪。
母は仕事のストレスと相まって、いつもピリピリ。

それでも、50歳になるまで第一線で働いていた母の姿は
幼いながらにかっこよく写りました。

私も「将来はバリバリ働くんだ!」と自然と思うようになっていったのです。

中学〜高校時代|部活一色でストレス耐性が身に付く

1つ上の兄は頭が良かったものの少し変わっていて、生意気で屁理屈ばかり。
上級生や先生にもそんな態度なので、小学生〜中学生の頃はよくいじめられていました。

そんな変な兄の妹だと知られたくない私は
中学校の部活動では、兄の学年がいないという理由だけで「ソフトボール部」へ入部。
(顧問がかなり厳しく、1つ上の学年はみんな辞めてしまっていたんです。)

今であれば体罰で訴えられてしまうであろう過激な顧問のもと
中学3年間は部活動に明け暮れました。

このおかげで、ちょっとやそっとではへこたれない根性…
というよりストレス耐性だけは身についたような気がします。

高校は、近所の高校へ部活動の推薦で入学。

市内では進学校と言われるような高校だったので、基本的にみんな真面目。
自分に合っていたようで、友人にも恵まれ
部活動も楽しく、青春を謳歌しました。

人生で一番楽しかった時期は?と聞かれたら高校!と答えていたくらいです。

大学〜就職|就活に苦戦…他人軸で選んだ就職先

大学時代は友人に誘われるがままにバレーボールサークルに入り
アルバイトとサークルと遊びに時間を費やす生活。

そして就職活動。
当時はリーマンショック後の就職氷河期。
50社以上エントリーシートを出しても内定は出ず、かなり苦戦しました。

母の影響でキャリア志向だった私は
事務などの「一般職」ではなく営業などの「総合職」オンリー。

周りの友人が次々に大手の企業に内定をもらって焦っていたこともあり
「自分が何をやりたいか」や「仕事内容が面白そうか」よりも
「聞いたことのある企業名かどうか」を重要視して就職活動をしていました。

多くの学生が春には就活を終え、羽を伸ばしているなか私の就活は続き
夏にようやく就職先が決定。東京23区内を回る、コピー機の営業職でした。

やっと肩の荷が降りて

・やった!みんなが知っている企業だ!
・これで就活に失敗したって思われない!
・両親にも胸を張って報告できる!

そんなことを考えていました。

今考えると恥ずかしいのですが、この頃は他人からどう思われるかが全て。
完全に他人軸で生きていました。

就職-出産

キャリアウーマンデビュー!のはずが…

実際に働いてみると、早々に営業という仕事は自分には向いてないことがわかり
社会人一年目の頃は、キッツイ女性上司のもと、何度もトイレで泣いてました

必要としていないお客様に対して売ってこいと詰める上司、職場。
販売会社だから当たり前なのですが。

ただ、お客様とコミュニケーションをとるのは楽しく
いろんな業種・業界のお客様と関われること自体は面白かった。
給料は良かったし、他にやりたいことも思い浮かばなかった。

毎日「仕事嫌だなぁ」と思いながらズルズルと…
結局約7年間も働いていました。

初めての転職|やりがいを持って働きたかった

そんな私ですが、社会人5年目の時に
「このまま苦手な仕事をして人生をムダに過ごすのは嫌だな」と思い始めました。

キッカケは高校から約8年付き合った彼と別れたこと。
やっと自分の人生と向き合いました(遅!)。

そして好きなインテリアに関われる、インテリアコーディネーターになろう!と一念発起。

未経験だと転職は難しいので、貯金を崩して
働きながら通えるインテリアのスクールに入学。
2年間通い、無事にインテリアのオプション販売をする会社へ転職しました。

小さな会社の東京支店。私を含めて7名しかいないような職場でした。

ここから怒涛の日々が始まります…!

✔️ペーパードライバーだったのに毎日運転
面接の時はたまにしか運転しないって言っていたのにほぼ毎日運転。
何度も会社の車をぶつけて怒られる(夢でうなされるぐらいストレスだった)。

✔️力仕事が多い
支店長以外、全員女性。
カーテンやレール、エアコン、網戸まで(!)大抵のことは自分たちで。

✔️繁忙期は休めない
接客業なので土日祝日は当たり前。
個人の裁量に任せる風土だったため、基本的に残業残業残業…。
担当物件の繁忙期は二週間休みなし。

✔️人間関係が狭い
なんたって7名しかいない。我が強いというか、クセつよめの職場の方々。
最初の頃はお局さんの嫌がらせもあり。
(それなりに大変な職場なので、徐々に仲間意識が芽生えて仲良くなった。)

インテリア業界って、キラキラしているイメージが強いのですが
ものすごく泥臭かった。
それでも好きなインテリアに関われることが楽しく、仕事に熱中しました。

プライベートでは、転職したタイミングで今の夫とご縁があり結婚
夫は小学校の教員だったので土日休み。
新婚生活は、お互いの休みがまったく合わない生活を送っていました。

忙しく大変ながらも充実した日々。
仕事のやりがいを感じていました。

出産|今までの働き方、ムリじゃん

転職してハードな働き方を続けて2年後、長男を妊娠。
ここで初めて働き方を変えざるを得ない状況に気付きます。

今の仕事は土日出勤はマスト。平日も現場に行っていたら基本的に残業は確定。
でも保育園は土日は預かってくれない。平日もお迎えがある…

「あれ?出産したら今の働き方はできない?」

授かれるかどうかもわからなかったので
子どもを産んだ後のことは考えていませんでした。

支店長と相談して、出産後は支店の事務員として働くことに。

夫の働き方は変わらないのに、自分だけ働き方を変えなければならない理不尽さ
少しモヤッとしましたが、周りを見ればそれが「一般的」。

初めての育児と息子の可愛いさに
仕事よりも子どもの優先度が自分の中で大きくなっていき
私の中のモヤモヤは、放置されるようになりました。

そして事務として時短勤務で復帰。

資料作りや細かい作業はもともと得意だったこともあり
人をサポートすることが意外と楽しく、裏方の仕事は自分に向いていました。

給料は驚くほど低くなって凹みましたが
この働き方しか当時の自分には選択肢がなかった。

私の中のモヤモヤは解消することなく、日々の忙しさや目の前の楽しさにかき消され、ずっとずっと放置されたままでした。

家族で神戸に移住

突然の夫の転職・移住

育休復帰から一年後の年末、夫が急に「来年神戸に引っ越したい」と言い出しました。

話を聞くと、夫が以前から気になっていたスクールが
珍しく来年度からの先生を募集しているとのこと。

こうして慌ただしく応募・試験・採用が決まり、退職・引っ越し。
スクールでは、雇用ではなく業務委託だったため
夫は公務員から急にフリーランス先生になったのです。

私は繁忙期もあり4月末まで東京で働いて、5月に息子と一緒に神戸へ。
これが今から3年前の出来事です。

お互い実家は埼玉県で、神戸には縁もゆかりもありません。
「よくついていく決断したね!」と地元の友人には驚かれます。

でも、なんのキャリアも積み上がっていなかった私からすれば
今の会社を辞めたところで、何も失うものはなかった。

私が前向きに移住を決断できたのは
ずっとモヤモヤしている自分の現状が、少しでも変わるかも
という思いがあったからかもしれません。

34歳 関西で再就職|キャリアが積み上がらない

神戸に引っ越して最初の2〜3ヶ月は失業手当をもらいながらゆっくり過ごしました。
川も山も海も近くにあるのが新鮮で、子どもと一緒に出かけるのがすごく楽しく
海もない埼玉には、絶対に戻りたくないと感じるほど(笑)

それから、就職活動を始めました。

今まで正社員として働いてきたので、正社員で働くことしか頭にない私は
就職活動を始めてみて現実を思い知ります。

インテリア・建築関連の会社の求人が全くない!!!
大阪まで出てやっとあるかないか、なのです。

そもそも息子の保育園があるので
保育園のお迎えに間に合う時間帯で、働けるような会社は皆無。
ここは埼玉や東京じゃないことに改めて気付かされました。

家族との時間も大事にしたかったので、お迎えは18時半が私の中で譲れない条件。

業界や業種は諦めて、現実問題「お迎えに間に合う就労時間」だけを条件に
探し回って探し回って、なんとか就職先が決定。採用事務のお仕事です。

定時は17時50分。時短ではなくフルタイムでギリギリお迎えが間に合う職場でした。

新入社員のくせに毎日残業もせず就業時間のチャイムと同時に帰る。
気まずさはありましたが、毎日の生活を回すのに必死でした。

仕事内容は、嫌いではないもののルーティーンワークが多く
残業ができないため重要な仕事は振ってもらえない。
生活費を稼ぐために働く、といった感じで毎日をこなしていました。

帰省すると、公務員で着実に昇進している友人や
手に職をつけてずっと働いている友人、大手金融でキャリアを積んでいる友人。

「あれ?なんか私の人生こんなハズじゃなかったのに…」
引っ越しても、結局モヤモヤは変わらなかった。

昔思い描いていたキャリアウーマンとは
かなりかけ離れたところにきてしまったようです。

今しかない子どもとの時間も大切にしたい

フルタイムで働くということはそれなりに毎日バタバタの生活で
ゆっくり子どもと向き合う時間もあまりなく、いつも余裕はない状態。

子どもの体調不良も、子どもの心配よりも
「あ、明日仕事どうしよう」と思ってしまう自分が嫌になります。

子どもとの向き合い方も
中途半端だよなぁ。

現状を変えれるかもと思って神戸にきたものの
結局現状は変わらずモヤモヤしたまま。

実家から離れて頼れる人もいないなか、実際に外に出て働いてみると
やはり外で働くより在宅で働きたいなと漠然と考えるようになりました。

✔️子どもの体調不良にも対応できる
✔️離れた実家にも帰りやすい(いずれ迎える介護にも対応できる)
✔️いずれ迎える小一の壁に対応できる
✔️夫のここにいきたい、に柔軟になれる

そんななか、再就職して1年も満たないタイミングで2人目を妊娠

もうここで働き方を変えるしかない!

キャリア積んでない組の私は、産休育休を活用して
在宅で働けるスキルをイチから身につけようと決意。

在宅ワーク=Webデザイナーやライターくらいしか思い浮かばなかったので
まずはそこから情報収集。

文字を書くのは苦手だし、デザイナーってなんか面白そうだな、と
クリエイティブな仕事に憧れがあった私はWebデザインを学べるスクールを比較検討していました。

そして第二子出産後、里帰りから生後2ヶ月の娘を抱え神戸に戻り
デザインスクールへの申し込みをしようとしている頃、あるスクールに出会いました。

それが、今私がお世話になっている「リモラボ」です。
学べるスキルは「Webデザイン」ではなく、「SNSマーケティング」。
聞きなれない言葉をインスタで知りました。

マーケティング?なんだそれ?

と思いながら、もしかしたらデザインよりこっちの方が役に立つかも…
という直感のもと勉強会に参加し、そのまま入会を決めました。

どちらが正解とかはありませんが、私はあの時この決断をして良かったと思っています。
入会から半年、私は昨年の4月に会社へは復帰せず、在宅フリーワンスとなりました。

半年で在宅ワークを叶えた話はまた別の記事で紹介しています。

 

双子を妊娠|稼がなきゃ!

そして今、私はまた新たな挑戦をしています。
それは、一年以内に月収30万円を安定して稼げるようになること。

現在私は双子を妊娠しています。
3人目と思ったら双子だったため、一気に4児の母になってしまうのです。

ただでさえ子どもの教育費、自分たちの老後、お金の不安なんて尽きないのに
ここで私が稼げるようにならなきゃ、我が家は、詰む。

でも一年在宅ワークをしてきて、「マーケティング」にはその可能性があることを実感しています。
それは結果を出しているロールモデルがたくさんいるから。

・在宅ワークで子どもとの時間も大切にしながら

私が諦めていた
・やりがいのある仕事
・キャリアを積むこと
・満足する収入を得ること

全てを手に入れることができるかもしれないのです。

これからその挑戦をし、同じように叶えたい未来を描くママの
ヒントになれば幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございました!